私について

私は東京生まれの東京育ちで、高校の中頃まで、理系か文系かよく分からずにおりました。大学(東京大学)では理科系を選び、最初は化学の専攻を考えていましたが、訳あって専門の決定を遅らせ、物理・数理科学など、幅広く研究できるコース(現在の広域科学科)を選び、修士まで進みました。修士の頃に手に触れたミクロ経済学・ゲーム理論の簡単な教科書に触発され、経済学を本格的にやってみたいと思いましたが、当時、経済学のバックグラウンドのない学生を受け入れてくれる大学院(慶應の大学院も考えましたが、経済学の試験があるため、断念しました)もなく、「経済の現場の勉強のため」と思い、通商産業省(現在の経済産業省)に行政技官で就職しました。

そこでは、石油開発行政の予算作成や開発プロジェクトのデータ分析などを担当していましたが、政策の現場で市場原理の視点で議論が進むことはなく(現在はだいぶ変わったようです)、幻滅を覚えると同時に、自分の専門性のなさを痛感し、大学院留学で経済学を修めたいと強く思うようになりました。

通商産業省を2年で退職し、留学した先は、唯一奨学金を出してくれたシカゴ大学です。経済学のバックグランドがほとんどなかった私は、当時のシカゴの様子がよく分からないまま、コースワークのるつぼに巻き込まれていきました。その後、私がシカゴにいる間の5年間は、シカゴから経済学のノーベル賞が続出する特別な時期となりました。私は、その一人のGary Becker教授に師事をし、当時は日本では研究者の少なかった家族の経済学、教育の経済学を専門とすることにしました。私がBeckerの思い出について書いたエッセイがここにあります。

博士論文では米国のデータを使いましたが、日本のデータを使って研究したいという思いは強くなりました。
博士号取得後、フロリダ州のマイアミ大学で一年間教鞭をとり、「学生からの授業評価というのはこういうものか」という洗礼も受けました。また、世界銀行で1年間コンサルタントとして研究に従事し、開発途上国における教育・家族の政策分析の重要性に目を開かされましたが、開発途上国を研究対象として見ることに、どうしても自分として納得のいかない状況も続きました。最終的に、自分にとって最も重要で思い入れの深い日本社会を対象にして、奥の深い研究をしたいと思い、今日に至っています。

2005年3月から2007年2月まで、全米経済研究所(NBER)の客員研究員として、ボストンに滞在していましたが、2007年3月から、慶應での教育・研究に復帰致しました。2009年から2年間、政策研究大学院大学(GRIPS)に設置された「教育政策プログラム」の客員教授を務めました。

2010年から、慶応のパネルデータ設計・解析センターにおいて、「日本子どもパネル調査(Japan Child Panel Survey: JCPS)」の実施を主導しています。JCPSは、日本全国を代表する小中学生のサンプルの追跡調査を行い、認知能力・非認知能力を計測しています。限られた予算によって収集されているデータですが、学界に広く提供することで、この分野の研究が活発化されることを期待しています。
学術研究以外にも、2010年からガッコムというサイトの運営に携わっています。